突如始まりました看板屋工房「看板コラム」。
こちらの記事では、看板屋だから話せる看板のアレコレ、知っていると自慢できるかもしれない豆知識や、看板の意外な事実など、看板に興味を持ってもらえるような記事を掲載してまいります。不定期ではありますが、頑張って書いてまいりますので、お時間のある方はお付き合い頂けると嬉しいです。
そんな看板屋工房「看板コラム」第1回は、看板の歴史についてです。
世界の看板の歴史は非常に様々です。各地の多様な文化や風習、技術の進化を色濃く反映しています。地域差だけでなく、その時代時代でも様々な様式が生まれ、今や我々の生活にすら浸透しております。
以下に、いくつかの主要な地域と時代の看板の歴史を紹介します。
<古代文明時代>
古代エジプトでは石碑や壁画に商品や取引の内容を絵文字で表現していました。これらの表示は、文字を読めない人々にも理解しやすいよう工夫されていました。これがサインの黎明期とする説があります。
<古代ローマ時代>
店主が店の入口に彫刻や絵画を用いて、販売している商品や提供するサービスを示すサインを設置していました。
この頃から、「知らせる」ことを目的とした看板が広まりました。
<中世ヨーロッパ時代>
商業活動が都市で活発化し、商店や宿屋が自店を目立たせるために看板を設置し始めました。識字率が低かったため、絵やシンボルが中心でした。サインや看板を「広告」として使用し始めるのはこの頃からになります。
<産業革命>
印刷技術や金属加工技術の発展により、看板のデザインや素材が多様化し、より複雑で洗練された表現が可能となりました。
民衆への教育も広がり、文字を多用した看板が広まり、サインにおける情報量が一気に増えました。
一方、我が日本での看板の起源は奈良時代に遡ります。
当時は「標(しるし)」と呼ばれ、商品の目印として使用されていました。
平安時代には、絵の暖簾が使用され始め、鎌倉時代の終わり頃には、文字で記された簡板(かんばん)という木の札が使われるようになりました。
江戸時代になると、商工業の発展に伴い、看板は目印から宣伝手段へと進化しました。庶民の識字率向上も手伝い、豪華な装飾が施された看板が登場し、集客効果を高めました。
明治時代に入ると、西洋文化の影響を受けた看板が登場し、布や板が主流だった日本の看板は、産業革命の影響もあり、使用される素材も豊富になっていきました。印刷技術の発展により、文字のスタイルや色彩、ライトの導入など、広告媒体として大きく発展しました。
看板の歴史はその時代ごとの文化や技術の進化が反映されております。
現代では、LEDを使用した電光掲示板やデジタルサイネージなども増えてきて、今後も技術の進化に伴い、看板の種類やデザインもさらに多様化していくことと思います。
最新技術への取り組みも大変有意義なことです。それと同じくらい古き良き伝統や技術もまた大切なことだと思いますが、今度はどのような技術が生まれ、看板がどのように進化していくのか楽しみですね!
[ 2025-01-17 ]